日本の歴史を、時代を問わずに語っていきたいです。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
万葉集4 (天武天皇)
皆さん、大変ご無沙汰して申し訳ありません。
秋を通り越して、すっかり冬の風情となって参りました。先日、ロマン通りという場所に友人と一緒にハイキングを出かけました。田舎の田んぼを見ながら歩いたのですが、途中万葉歌碑などあって、なかなか趣がありました。
歌碑に彫られている歌は、旅先にあって故郷に残してあった妻を想う歌で、秋の野にいるとシミジミとその哀しい心根が伝わります。
辺り一面を埋め尽くす薄の原に吹く風は、カサカサと乾いた音が響かせ、静寂感をよりいっそうかきたたせます


さて、前回は大津皇子のお話でした。
話があっちこっちにとんでしまうので、ここで、ちょっと整理して、大津皇子の父である天武天皇についてお話したいと思います。
どうぞよろしくお付き合い下さいませ。

天武天皇は、最初、大海人皇子と呼ばれていました。
父・舒明天皇の第3皇子として生まれ、母は皇極(斉明)天皇で同母兄に中大兄皇子(後の天智天皇)、同母妹に間人皇女(孝徳天皇皇后)がいます。
大化の改心後、天智天皇の皇太弟となりますが、天智天皇が息子である大友皇子を次の天皇にと考えているのを知り、吉野に隠遁します。


しかし、天智天皇の死後、近江朝廷の大友皇子との間に壬申の乱が起こり、これを破り、飛鳥浄御原宮にて、天武天皇として即位しました。
皇后は鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)です。天智天皇の皇女で、天武天皇とは叔父姪の間柄になります。
天武天皇は、兄・天智天皇の皇女を、鸕野讃良皇女を含め、四人妻としています。

【皇后】鸕野讃良皇女
 所生の皇子女…草壁皇子
【妃】大田皇女(鸕野讃良皇女の同母姉)既に死亡
 所生の皇子女…大伯皇女、大津皇子
【妃】大江皇女
 所生の皇子女…長皇子、弓削皇子
【妃】新田部皇女
 所生の皇子女…舎人皇子

天智天皇は自分の娘である皇女を四人も天武天皇に嫁がせていることから、よほど弟の天武天皇に気を遣っていたと思われます。

他にも夫人や宮人に所生の皇子女がいますが、今回は皇女 所生の皇子女だけご紹介します。


ここで謎も出てきます。
実は天武天皇は天智天皇の弟でありながら、年齢が天智天皇よりという記録もあります。
また、母である皇極(斉明)天皇は、『はじめ高向王と結婚して、漢皇子を産んだ』とあり、舒明天皇とは再婚になります。
この辺は、興味を惹かれることがたくさんありますので、皆さん、それぞれに調べてはいかがでしょうか。


それでは、ここで天武天皇のお歌を一首ご紹介します。
天皇がまだ大海人皇子と呼ばれていた時代、額田王との間に呼んだお歌です。

「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」額田王


「紫の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我(あれ)恋ひめやも」大海人皇子



はい、それではこの辺で失礼します。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。


スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。